「STAR LIGHT」(スターライト)は、光GENJIのデビューシングル[1]。1987年8月19日に発売。発売元はキャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)。
解説
オリコンシングルチャート初登場1位を獲得した光GENJIのデビュー曲。当時、人気絶頂だったアイドルグループ、おニャン子クラブのラストシングル「ウェディングドレス」[注 1]が同じ週に発売されたが、それを抑えての快挙である。同チャートでデビューシングルが初登場1位を獲得するのはジャニーズ事務所所属者としては近藤真彦、少年隊以来3組目。
チャゲ&飛鳥が光GENJIに提供した最初のシングル曲。のちに3部作と呼ばれる一連の第1作目となる楽曲。
当時、コンピュータによるレコーディング技術が導入され、楽曲提供者であるASKA自身もレコーディング作業を習得していた。そのことを知ったジャニー喜多川はスタッフらと協議して「これからデビューさせるグループをシンガーソングライターに任せよう」と方針を固め、ジャニー自らが楽曲制作を依頼。その際、ASKAから出された「自分たちにも冒険。楽曲の良さとは関係ない売れ方をするかも知れない。3曲はやらせて欲しい。」との条件を承諾したという。デビュー曲となった本作、「ガラスの十代」、「パラダイス銀河」と、およそ半年の間に3曲を発表。それら全てがオリコンチャート初登場1位を獲得し、光GENJIは一躍トップアイドルとなった[2]。
シングルの売上(出荷)枚数は公称で85万枚[3]。
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光GENJI(ひかるゲンジ)は、1980年代終盤から1990年代前半に活動していた日本の男性アイドルグループである[1]。1987年にジャニーズ事務所からデビューし[1]、1995年に解散した。内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓(現:佐藤アツヒロ)の7人からなるグループで、メディア等では「最後のスーパーアイドル」などと称されている[2]。
解散した理由について
卒業について、諸星は後年「(最後の方は)仲が悪かった」「みんな疲れていた」と語っているほか[19]、2015年11月に出演した番組で当時の状況について山本が「当時のアイドルは『20代後半になったら、それぞれの道に行く』みたいなスタイルがあり、年長者のメンバーが独立に進みたがっていた[31]」という内情を明かしている[17]。
また後年、光GENJIが短命に終わった理由として、下記のような理由がビジネスコンサルタントの専門家からは挙げられており、後のジャニーズ事務所のマーケティング戦略においての課題とされたことが指摘されている[32]。グループ扱いされてはいたが揃って行動する事が一度もなかった「たのきん」との最大の違いである。
社会現象になるほど歌が爆発的に売れすぎて仕事に奔走することになり、トークや演技などの実力を磨く暇がなくなってしまったこと。
歌番組中心だったためメンバー間で仕事を割り振ることができず、メンバー全員が常に一緒でフル稼働する必要があり、充分に休むことができなかったこと。
休息する暇がなくなったことで精神的なストレスが溜まり、メンバー間の仲に悪影響を与えたこと。
歌番組中心に出演したため、メンバー個々で活動できず、バラエティー番組やドラマなどで活躍できなかったこと。
ザ・ベストテン(1989年終了)、歌のトップテン(1990年終了)、夜のヒットスタジオ(1990年終了)といった歌番組がなくなり、ミュージックステーション(1986年開始)などの音楽バラエティーが主流となったこと。
正統派のアイドルだけで構成され、ボケ役・ツッコミ役・イジラレ役・仕切り役などの個性を持ったメンバー、いわゆる「異色のアイドル」がいなかったこと。

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