音楽 甘茶の音楽工房

『塔の中の少女』
https://mypage.syosetu.com/1144089/
 私達のチームは、その遺跡で意外な物を発見した。グロテスクなガスマスクをはめた人骨が、右手にプラスチックの破片のような物を握り締めていたのだ。放射線分析装置で分析すると、約1万2千年前、つまり、人類が犯した大きな過ちから半世紀後の録音を保存した電磁媒体であることが判明した。そこには少女の笑い声と、青年の肉声が録音されていた。私達はテクノロジーを駆使し、それを蘇らせたのだ。

▶︎再生………

 自分の声を録音しても無意味だけど、話し相手がいないからそうしているだけだ。
 母は祖母の声を録音していた。
「あれは暑い夏の日のことだった。あなたを連れて地下街を歩いていたら突然警報が鳴った。するとドーン!という大きな音がして地下街が揺れた。シャッターが降りて暗闇になり、少し後に灯りがついた。外に出ようと思ってエレベーターに乗ると、最上階まで行ってしまった。ドアが開くと街は火の海になっていたの」

 祖母は僕が生まれる前に死に、母も僕が小さい頃に血を吐いて死んだ。痩せこけた母は僕の手を握りしめて、「一人にしてごめんね」と言った。黒い雨が静かに降っていた。他の棟の人達も既に死んでいた。僕はこの団地の最後の住人になり、灯りがつく部屋はここだけになった。

 毎晩屋上で火を焚く。誰かに見つけられることを願いながら。その夜も双眼鏡で夜景を見ながら火を焚いていた。すると遥か遠くの高い塔の上の方に仄かな光が見えた。
誰かがいる…
でも黒い雨が降り出し、外には出れなかった。

 二日後に雨は止んだ。でも台風が近づいているせいか強風が吹き荒れていた。僕は水筒と双眼鏡をリュックに入れて、夜明けとともに出発した。自転車はいくらでも落ちているので移動には困らない。途中途中で建物に登り、位置を確かめながら向かうと昼頃に着いた。小高い丘に巨大な塔が聳え立っていた。扉は赤く錆びていたが、ノブは滑らかに回った。
 中に入ると螺旋階段があった。それを上ると塔の中に僕の足音が響き、一番上に着くとバン!と音が響いた。フロアーの隅に扉があった。「誰かいるの?」と呼んでみたが返事はない。中に入ると又別の扉が開いていて風が吹き込んでいた。外に出ると朽ちた鉄の階段が壁づたいにあり、ぼろぼろの白い服を着た女の子がそれを登っていた。「待ってよ!」と声を掛けたが彼女は止まらず、僕は後を追った。天辺で階段が途絶えると彼女は振り向き、「来ないで!」と叫んだ。雲一つない青空に、白い服がはためいていた。
僕は安心させようと思い、「幸福だよ。幸福!」と叫んだ。その言葉に良い効果があることを知っていたから。死んだ大人達は、よくその言葉を使っていた。もう一度それを叫ぶと、彼女は、「幸福?」と首をかしげた。僕にはその言葉の正しい使い方がわからなかった。「そう幸福」と言うと、「なあにそれ?」と言った。僕はゆっくりと彼女のそばに寄り、腕を伸ばして双眼鏡を差し出すと、霞んで見える団地を指差して、「あれだよ」と言った。

 彼女と話すことはあまりなかった。二人に会話は必要なかったのだ。一緒にいることができれば、それで良かったから。
 彼女に名前を聞くと、「蛍子。蛍の子でけいこ。蛍を知ってる?」と言い、僕は、「知らない」と答えた。
「夜に光る綺麗な虫よ。でも見たことないの」
僕はその瞳の奥に悲しみを見つけた。

 毎晩屋上で火を焚き、二人で缶詰めを食べた。食前に「幸福!」と声をあげ、食後にまた「幸福?」と言い、くすくすと笑った。言葉の意味さえも知らないのに、それが楽しかったのだ。
 突風が吹いて火の粉が舞うと、彼女は、「綺麗ね」と言った。僕は、そんなこと思ったこともなかったから、「どこが?」と素っ気なく尋ねた。彼女は、「わからない。でも綺麗なの」と呟くように言った。
 彼女に塔に隠れていたわけを聞いた。
「高い所なら空気が綺麗だと思ったからそこにいたの。でも、お母さんは死ぬ間際に、蛍のいる場所で暮らしなさいと言った。蛍は、水が綺麗で、草や樹が沢山生えているところにいるからって。でも、そんなところがあるのかしら」
「僕が見つけてあげる。いつか蛍を見せてあげる」
軽い気持ちで、そんなことを言った。僕は、約束とは良いことだと思っていたし、約束と悲しみの深い繋がりなど知るはずもなかった。

 晴れた日は朝から双眼鏡を持って屋上に出た。遠くの景色の変化を観察するために。その夏は黒い雨が降らず、快晴が何日も続いた。強風が吹き荒れた日の翌日は空気が澄み渡り、遠くの景色がはっきりと見えた。
 遂に僕は緑を見つけた。赤茶色の山々の間に、薄緑色をした小さな山が見えた。彼女を屋上に連れて来て双眼鏡を渡し、「あれを見て」と言った。彼女はじっとその景色を眺めていた。そして双眼鏡を降ろすと、「あそこに行きたい」と言った。

 僕は自転車を一台拾ってきて、一晩掛けて彼女が楽に乗れるように修理をした。翌朝、空が白み始めると同時に団地を出発した。僕は、自分の自転車の整備をすっぽかしたから、彼女が先頭を走ることになった。彼女は坂道を登り切ると、「早く!」と声を上げた。でも僕が登り切る頃にはもう坂道を下っていたのだ。空は青く澄み渡り、風は爽やかだった。髪をなびかせてペダルを踏む彼女は美しかった。それは、僕が美に目覚めた瞬間であり、美が幸福なのだと誤解した瞬間でもあった。でも、そのとき僕らは確かに幸福だった。僕らには希望があったからだ。

 昼過ぎに山の麓に着いた。樹木は僕の背丈ほどもなく、所々赤いかさぶたの様な山肌が露出していた。彼女は不安そうに、「蛍いるかな?」と言った。僕らは山中を彷徨い水辺を探した。僕は、「ちょっと待って」と彼女に声を掛けてから大きな岩によじ登った。双眼鏡で見渡すと、遠くの谷底に細い川が見えた。
「あそこに川がある!」
彼女は僕の指差す方に走って行くと、渓谷に下りるコンクリートの階段を見つけた。「待ってよ!」と叫ぶと、彼女は振り向き、「早く!」と嬉しそうに声を上げた。ようやく岩から降りて渓谷に下りると、岩場を軽やかに駆けて行く彼女の背中が見えた。
 幅五メートルほどの急流が、真っ直ぐ下流へと流れていた。大きな石ころに足を取られながら上流に向かって歩いて行くと、巨大なコンクリートの壁が前方に現れた。それは八階建ての団地よりも高く見えた。上の方に直径五メートルほどの土管の丸い口が開いていて、大量の水が落下していた。その人工滝の下は水溜りになっていて、その縁に彼女が立っていた。

 そばに駆け寄り肩に手を載せると、彼女は震えていた。「どうしたの?」と聞くと、彼女は無言で水際から少し先のところを指差した。水面が揺れてよく見えなかったけど、何かが沈んでいるような気がした。浅瀬に手をついて覗き込むと、大きな白い瓦礫のような物が見えた。ふと手元を見ると、白陶器の破片のような物が転がっていて、指でつまんで水中から拾い上げてみると、それは歯だった。水底の瓦礫は、一体の大人の人骨だったのだ。とそのとき微かな視線を感じた。顔を横に向けると、彼女の足元に小さな頭蓋骨が転がっていた。幼い子供の骨であることは明らかだった。水底に沈む人骨の大人とその子供は親子に違いないと思った。
 彼女はしゃがみ込むと、頭蓋骨を膝の上で撫でた。そして水溜りに入り、水底に横たわる人骨の傍らに添えた。
 その日の夜も、団地の屋上で焚き火をした。彼女はただじっと炎を見ていた。それが救いの無い灯火であることを僕らはもう理解していた。

 やがて僕のみる焚火は、彼女の瞳に映る焚火となった。彼女の横に座り、そのあどけない横顔を覗き込み、瞳に映る火柱を見つめた。すると彼女は泣いた。
 僕は「死」に何も感じなかったし、母が死んだときも泣かなかった。幼い頃に見た景色は、青空と、黒い雨雲と、人が死ぬ姿くらいで、死は日常茶飯事だった。僕はいつも一人だったから、孤独を恐れることはなかった。でも彼女と暮らすようになると、孤独を恐れるようになった。
 彼女に泣くわけを聞くと、「一人になりたくない」と言った。でも彼女を一人にしないためには、僕がいつか一人になるしかないのだ。僕は彼女の肩をそっと抱いた。

 三年ほど過ぎると、彼女に症状が見え始めた。彼女は食べた物を全て吐いてしまった。血を吐いて痩せ細り、歩くことさえ難しくなった。それでも彼女は焚き火を見たがったから、僕は彼女をおんぶして毎晩屋上にあがった。その体が日に日に軽くなるのがわかった。背中に感じるその温もりは悲しみを癒してくれたけど、僕が彼女を癒してあげることはできなかった。

 その夜は空気が澄んで星が見えた。
 屋上に毛布を敷いて二人で夜空を眺めていると、一筋の流れ星が見えた。彼女が、「いま蛍がいたよ」と言って笑うと、僕は彼女を抱きしめて泣いた。彼女は、「ごめんなさい。一人にして」と言い、静かに目を閉じた。一粒の涙が流れ落ちた。

 あれから何年過ぎたかわからないが、彼女と出逢った日も今日のような快晴だった。僕は録音した彼女の声を聴いた。彼女はあの言葉を繰り返し、無邪気に笑っていた。
 今の僕には希望も絶望もない。あるのは青空と彼女の笑い声だけだ。

▪️停止

 青年の録音はここで終わっていた。彼の言葉から人類が学ばねばならなかったことは、人類は賢い生物ではない、それどころか最も愚かな生物だということだ。しかし、人類は学ばなかった。もしあなたが私の声を再生したなら後世に伝えて欲しい。
 人類に警戒を怠るな。信じてはならない。奴らの本質はMADなのだと。
 
終わり

MASK9.COM - FOR YOU, WITH LOVE.