東日本大震災の発生から3月で11年です。仙台放送では月命日にあたる毎月11日に、震災で大切な人を亡くされた方の想いを伝えていきます。2月11日は津波で両親を亡くした佐々木里子さんです。

宮城県石巻市で暮らす、佐々木里子さん(53)。この場所には大切な両親が眠っています。父の有三さん(当時77)と母の恵子さん(当時74)です。

佐々木里子さん
「あの頃は両親がいないことが不自然でつらくて悲しんでいたが、安心して穏やかに過ごしていてほしいと思う」

佐々木さんは女川町の実家でもあり、両親が経営する旅館「奈々美や」で働いていました。

佐々木里子さん
「私の好きな場所は台所の辺りで、母親の場所なんですけど」
Q.どの辺が台所だったんですか?
「おそらくこの辺です」

町の中心地に近く、観光客や働きに来た人などで賑わいを見せていた「奈々美や」。佐々木さんにとって両親と過ごした大切な場所でした。あの日、この場所から無理やりにでも連れて逃げていれば…今でも強く感じています。

佐々木里子さん
「2日前にも大きな地震があって、『津波が来るよ』と言ったわりには来なくて。悪い甘えが重なり『これぐらい大丈夫だ。先に行ってろ』と父から言われ」

10年11カ月前のあの日、佐々木さんは地震の後、車で子供たちを迎えに旅館を出ました。子供たちを乗せた後、もう少しで両親がいた旅館に到着するという時、津波が押し寄せました。

佐々木里子さん
「『お母さん津波が来た』と子供が大騒ぎする。『見るな、お母さん守るから大丈夫』と言いながら、アクセルを踏み思った気持ちは『ごめん間に合わなかった』」

父の有三さんは8日後に…母の恵子さんは2年3カ月後に見つかりました。
JR女川駅の近くに並ぶ、色鮮やかなトレーラーハウス。女川町で被災した旅館の経営者たちが震災の翌年に立ち上げたホテル「エルファロ」です。佐々木さんも共同経営者の一人として働いています。震災後にもう一度、宿泊業に挑戦した理由は『両親に伝えられなかった一言』があったからです。

佐々木里子さん
「『旅館を継ぎたい』と言ってしまえば安心するかなと思ったが、なかなか言えないでいて、その言葉を聞かせられないまま震災で亡くなった」

両親は「旅館を継いでほしい」という思いを決して口にはしませんでした。ただ佐々木さんはその思いに気付いていました。

「女将として働く私の姿を見守ってほしい」
家族の後押しもあり、女川で宿泊業を始めることを決めました。

佐々木里子さん
「両親は絶対超えることのできない尊敬する先輩。一歩一歩近づくだけで精一杯なので、一歩一歩、歩く姿を見守ってほしい」

東日本大震災発生から、10年11カ月…。きょうも佐々木さんは父と母の様に、女川を訪れる人を笑顔で待っています。

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