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【松坂慶子】生きている娘への「遺言」——絶縁20年、100歳の母を看取ったのは「亭主面」と書かれた婿でした

1993年、一冊の本が書店に並びました。題は『娘・松坂慶子への「遺言」』。書いたのは、松坂慶子さんの父と母です。遺言と名づけられていましたが、その娘は、生きていました。

日本アカデミー賞の主演女優賞を二年続けて受けた女優が、無名のギタリストと結婚した。ただそれだけのことで、この家族は二十年、口をきかなくなります。「収入もないのに亭主面している」——婿になった高内春彦さんは、そう記事に書かれた人でした。それから二十年後、その婿が、義理の母の風呂を九年間、洗い続けることになります。

なぜ両親は、生きている娘に遺言を書いたのでしょうか。そして、なぜ最も憎まれたはずの男が、最も長くあの家に残ったのでしょうか。

信頼できる資料のみに基づき、丁寧に紐解いていきます。

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📌 目次
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オープニング — 1993年、書店に並んだ一冊の本

第1章「名前のなかった母」— 戸籍を持たずに生きた女性と、1964年に回復した一つの名前

第2章「イングリッド・バーグマンのように」— 何も持たなかった夫婦が、娘に持たせようとしたもの

第3章「愛の水中花」— 1979年、日本一の女優へ。二年連続の主演女優賞まで

第4章「マンションを持っています」— 1991年、ニューヨークでの結婚と、ひとつの見栄

第5章「実印」— 判子をめぐる追及、そして1992年の絶縁宣言

第6章「ばんざい、ばんざい、ばんばんざい」— 家族ではなく、仕事仲間から届いた祝福

第7章「遺言」— 両親が出した本に書かれていた、家族の来歴

第8章「父の死、そして五年」— 2007年12月、和解のないままの別れ

第9章「2012年6月、実家へ」— 要介護3、認知症、そして一年半の休業

第10章「介護というほど大変なものではありませんけど」— 婿が引き受けた九年

エピローグ — 2021年春、大往生。本当の遺言は、紙には書かれていませんでした

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📖 参考文献・出典
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1. 松坂英明・松坂つね子『娘・松坂慶子への「遺言」』光文社、1993年
2. 松坂慶子『女優と、私と』主婦と生活社、1992年
3. 朴一『僕たちのヒーローはみんな在日だった』講談社、2011年
4. 女性自身「松坂慶子 親子絶縁から28年目…年下夫と選んだ母の同居介護」2018年2月23日
5. 女性セブン 2013年4月25日号(同居・介護についての本人コメント)
6. NEWSポストセブン「松坂慶子の100才の母が大往生 “絶縁”を越えて自宅で看取るまで」2021年4月21日
7. 日刊ゲンダイ「松坂慶子“30年の親子断絶”支えた 夫・高内春彦氏の献身愛」2021年5月
8. NHK『ニュースおはよう日本』(NHK、2015年9月16日)「映画を通し語る母への思いと介護」
9. NHK『ラジオ深夜便』(NHK、2015年)「女優が語る私の人生」
10. クロワッサンオンライン 2019年9月18日
11. 映画.com 松坂慶子 プロフィール・作品年表

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