「あなたは、その人を救うこともできる。だから、どうか間違った方法を選ばないでほしい」
 キャスターがカメラに向かってそう訴えかけた。
 情に訴えかけようとしても無駄だ。この家の周囲は警察が固めていると、このキャスター自身がさっき言っていたではないか。狙撃されないように、すでに雨戸は閉めてあるし、窓もドアも全て鍵をかけた。これで誰にも邪魔されることはないだろう。
 事の発端は、母親がニュースを観ている俺にしつこく何か小言を放ってきたところから始まった。母親は、俺が40になっても働かないからと言って馬鹿にしている。だから、コメンテーターの的外れな指摘を正すように番組のハッシュタグでツイートする俺に、
「そんなこと今やっても意味がないよ」
 と半笑いで言うのだ。俺はキレた。日頃の鬱憤を吐き出す俺を見下すように母親はキッチンに引っ込んで皿洗いを始めた。
「俺を馬鹿にするなよ!」
 そう叫んだ俺を母親は鼻で笑った。
「はいはい、分かったよ」
 俺を子ども扱いしている。その態度が気に食わなかった。
「なんだ? お前が観てる番組を俺が横から観てたらダメなのか? お前は昔からそうだよな。俺のやることなすこと全てにいちゃもんつけて。お前が今までやって来たことで、俺がこうなったんだって自覚してるのか?」
「そういうことを言ってんじゃない!」
「うるさい、黙れ!」
 テーブルの上のコップを掴んで壁に投げつけた。コップは粉々に砕け散った。それは俺の怒りそのものだった。
 今にして思えば、この時の音を近所の人間が聞いて警察に通報したのだろう。俺はテレビから呼びかけられていた。
「今ならまだ思い留まれるはずです。お母様はあなたのことを大切に思っています。だから、その思いに答えてあげて下さい」
 ヘリからの空撮では、住宅街に警察車両が何台も停まって、特殊部隊が出動して待機している様子が映し出されていた。キャスターが俺の情に訴えかけている隙に、特殊部隊に突入させるつもりなのだ。その手には乗らない。俺は馬鹿じゃない。
「あんたさ、こんなこともうやめなさい」
 母親が俺を白い目で見る。
「うるさい。そこから一歩でも動いたら許さないからな」
「だーかーらー」母親が声を上げる。「話を聞きなさい!」
「黙れ黙れ黙れ! いつまでもお前の言うことを聞くと思うな!」
「あのね、あんたを犯罪者にしたくないから言ってんの!」
「うるさい! もうここまで来たら後戻りできないんだよ!」
「後戻りも何も、あんた一歩も進んじゃいないんだよ!」
「なに言ってんだ、くそババア! 俺はもう終わりだ! そのうち警察が突入してきて俺は殺される! その前にお前を殺してやろうか!」
 母親は深い溜息をついた。
「あんたね、冷静になって考えてみなさい」
「俺を馬鹿にするな!」
「いーや、あんたは馬鹿だね! 大馬鹿者だよ!」
 俺をとことん馬鹿にする。俺はキッチンに走った。包丁を手に取ってリビングに戻ると、母親がテレビのリモコンを構えて待っていた。
「そんなもんで俺と戦えると思ってんのか!」
「馬鹿! これ見なさい!」
 母親はリモコンをテレビに向けた。すると、驚くべきことが起こった。
 カメラに向かって呼びかけるキャスターの動きが止まったのだ。キャスターだけじゃない。音も全てが止まっている。時間が止まった。時間が止まるなんて、AVでしか観たことがなかった。
 驚いて言葉が出ない俺に母親は言う。
「昨日の和歌山で起きた立てこもり事件、偶然ニュース録画されてたから観てただけなのに……あんた、一人で喚き出してさ……恥ずかしいったらありゃしない」
「は? 録画?」
「そうだよ、馬鹿! 突っ立ってないでメシ食ったらハローワークにでも行きな! あと、あんた今日おやつ抜きだからね!」
「おやつ抜きは困る」
「うるさいね! 今夜をあんたのお通夜にしてやってもいいんだよ!」
「俺を殺すつもりか!」
「その言葉そっくりそのままあんたに返すよ!」
 母親は俺の手から包丁を奪い取った。
「さっさと雨戸全部開けな!」
 包丁を向けられて、そう言われたのなら仕方がない。俺はゆっくりと窓に近づいて雨戸を開け放った。
 いい天気だ。たまにはハローワークにでも行ってやるか。
 庭の隅からガサリと音がした。
 警察の特殊部隊が突入してきた。

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