富士山の噴火史, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=677049 / CC BY SA 3.0

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富士火山による火山弾(浅間大社) 富士山の噴火史(ふじさんのふんかし)では、富士火山の噴火の様子と変遷を概説する。
富士山は高さと山体の大きさに於いて日本最大の活火山である。
富士山は最近10万年で急速に大きくなったと考えられており、その意味では「若い火山」に分類される。
現在見えている山の外観は約1万年前から噴火活動を開始した新富士火山であり、その下に約70万年前から活動していた小御岳(こみたけ)火山と約10万年前から約1万年前に噴火した古富士火山があると言われている。
富士山の構造図 新富士火山の噴火では、溶岩流・火砕流・スコリア・火山灰・山体崩壊・側火山の噴火などの諸現象が発生しており、「噴火のデパート」と呼ばれている。
大別すると山頂噴火では爆発的な噴火と成り、山腹割れ目噴火では溶岩流を噴出させる。
また、岩屑なだれ、山体崩壊、火山泥流も生じている。
新富士火山の火山灰は黒色が多い。
新富士火山の噴火は地層的にも新しく、また8世紀以後には日本の古文書に富士山の活動が記載されており、噴火について貴重なデータを提供しているが、噴出源および年代が明らかになっていない溶岩流も多くある。
しかし成果もあり、2001年から2003年に行われたスコリア丘のトレンチ調査によれば、9世紀の貞観噴火では割れ目噴火が多く発生し、山頂を挟み南北両山腹で溶岩を噴出し溶岩流を流下させていた。
諸説あるが、古記録によれば新富士火山の噴火は781年以後16回記録されている。
噴火は平安時代に多く、800年から1083年までの間に10回程度、1511年等に噴火や火映等の活動があったことが、複数の古文書の分析や地質調査から明かとなっている。
一方、文書によっては、1560年頃、1627年、1700年に噴火活動があったとされているが、信頼性は低い。
また噴火の合間には平穏な期間が数百年続くこともあり、例えば1083年から1511年まで400年以上噴火の記録がないが、記録文書が散逸し残されていないだけで、噴火活動自体がなかったとは断言できない。
実際に、1435年から1436年には火炎が見えたとの記録が残る。
864年貞観噴火と1707年宝永噴火の噴出物の化学組成は玄武岩質でほぼ同じである。
しかし、噴火様式は大きく異なり、864年貞観噴火が溶岩流で1707年宝永噴火はプリニー式噴火の爆発的噴火であった。
この2つの噴火様式を分けたのは、マグマの脱水過程、噴火機構に違いがあったものと考えられている。
具体的には、玄武岩質噴出物中の斜長石の高圧下(約195MPa)のリキダス温度付近での溶解実験と結晶組織の分析から、864年貞観噴火は上昇したマグマはマグマ溜まりで若干の時間滞留し、脱水及び発泡と脱ガスが行われ新たなマグマが供給された後に噴出をした。
また、1707年宝永噴火は地下20Km付近のマグマが滞留することなく上昇したため、脱水・発泡・脱ガスがほとんどなく、結果的に爆発的な噴火となった。
清寧天皇三年壬戌三・四月、富士浅間山焼崩、黒煙聳天、熱灰頻降、三農営絶、五穀不熟、依之帝臣驚騒、人民愁歎 自去三月十四日迄四月十八日、富士山巓自焼、昼則烟気暗瞑、夜則火花照天、其声若雷、灰下如雨、山下川水皆紅色也 駿河国富士山、昼夜恒燎、砂礫如霰者、求之卜筮、占曰、于疫、宜令両国加鎮謝、及読経以攘災殃 五月、甲戌、廃相模国足柄路開筥荷途、以富士焼砕石塞道也 富士郡正三位浅間大神大山火、其勢甚熾、焼山方一二許里。
光炎高二十許丈、大有声如雷、地震三度。
歴十余日、火猶不滅。
焦岩崩嶺、沙石如雨、煙雲鬱蒸、人不得近。
大山西北、有本栖水海(みずうみ)、所焼岩石、流埋海中、遠三十許里、広三四許里、高二三許丈。
火焔遂属甲斐国堺。
駿河国富士大山、忽有暴火、焼砕崗巒、草木焦殺。
土鑠石流、埋八代郡本栖并剗両水海。
水熱如湯、魚鼈皆死。
百姓居宅、与海共埋、或有宅無人、其数難記。
両海以東、亦有水海、名曰河口海;火焔赴向河口海、本栖、剗等海。
未焼埋之前、地大震動、雷電暴雨、雲霧晦冥、山野難弁、然後有此災異焉。
甲斐国言、駿河国富士山神火埋水海 宝永火口と宝永山 宝永大噴火後、富士山では大規模な火山活動はなかったが、江戸時代晩期から、昭和中期にかけて、山頂火口南東縁の荒巻と呼ばれる場所を中心に噴気活動があった。
この活動は1854年の安政東海地震をきっかけに始まったと言われており、明治、大正、昭和中期に掛けての期間、荒巻を中心とした一帯で…

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