作詞:坂口 ふみ緒 作曲:沢 しげと 歌唱:杉良太郎
100万枚を超えるヒットとなった「すきま風」を持つ歌手であり、数々の時代劇に主演してきた。中高年女性層を中心に「杉様」の愛称とともに日本各地でディナーショーを主催している。
幼少時より歌手を志し各地の喉自慢に出場し続けたが、なかなか評価を受けなかった。1965年に日本コロムビアから「野郎笠」で念願の歌手デビューを果たすも、不本意な売り方をされた(曰く、嫌な柄の着物を着せられた)上に全く売れず、テレビ番組に出演する際はギャラどころか逆に多額の金品を要求されたことを自著で書いている。
18歳から20歳の下積み時代は、カレー屋の丁稚奉公で食いつなぎ、3年間まかないのカレーライスしか口にできず、朝6時から夜11時まで無休で、休みは元日だけだった。
1966年より、日活に所属。現代劇の助演で活躍する一方で、1967年にNHKの『文五捕物絵図』に主役として出演して以来、時代劇をメインに出演していく。『遠山の金さん』『右門捕物帖』(テレビ朝日)、『新五捕物帳』(日本テレビ)、『一心太助』『同心暁蘭之介』(フジテレビ)、『大江戸捜査網』『喧嘩屋右近』(テレビ東京)などシリアスからコミカルなキャラクターを演じた。舞台などでも活躍。明治座・新歌舞伎座などで、連続して出演した。
1975年にCBSソニー移籍後の第一弾シングルとして「なやみ」を発表。半年間テレビの仕事を休みレコードのキャンペーンを続けた成果が実り、自身初の10万枚を超える売上を記録[5]。これにより歌手としても知名度を獲得した。歌手を目指したきっかけは、長い時間拘束される俳優などと違い、一曲歌えばそれで良く、儲かると考えたからだという。しかし『EXILE魂』に出演時、それが甘い考えであり、ヒット曲が出るまで10年もかかる結果となってしまったと述懐している。
自身の体力面(長年の酷使によって椎間板ヘルニアを悪化させており「自分が望む座長芝居が出来なくなった」との理由)から2005年7月の新歌舞伎座での公演を最後に、自らの座長公演を勇退した後は、若い役者が座長を務める公演に脇役で出演しどんどんアドバイスを出していきたいとの考えを表明。2008年10月には大阪新歌舞伎座で山本譲二、山川豊を主役に迎えた初のプロデュース公演『闇の身代り地蔵』を上演した。また、2009年6月の大阪新歌舞伎座さよなら公演では、息子の山田純大を主役に迎え、初の親子共演を果たす。新歌舞伎座で松平信康の切腹を演じた時には千秋楽に本当に腹を切りたくなり、豚の臓物と血もたっぷり入れた袋を腹に巻いて、その上からさらしを巻き、白装束を着て舞台に立ち、本物の短刀を突き刺した。杉は「血が噴き出て、客席がシーンとなり、短刀を右へ斬ったら、腹から豚の腸が一気に噴出し、自分が倒れたところで緞帳が下りたから会場はパニックになった」と述べている。
過去には伊東四朗・岡田英次・青木義朗・福本清三・赤塚真人・うえだ峻・本阿弥周子ら多くの俳優が1980年代から1990年代の杉の主演作に常連の如く出演をしている。『同心暁蘭之介』25話では福本清三のために杉が役を用意し、福本も初めての大きな役だったと自伝『おちおち死んでられまへん-斬られ役ハリウッドへ行く』で述べている。また、親友であった江利チエミもゲスト女優として『同心暁蘭之介』に出演している。
1991年頃から、主に風景画を中心に油彩画を描いている。現代美術展で賞を受賞している、百貨店などで絵画展をたびたび開催する。24時間没頭した事もあったという。2007年5月1日、長女に第1子となる男児が誕生したことによりおじいちゃんとなる。しかし本人は会見で「孫には『お兄さん』と呼ばせる」と宣言した。2009年6月1日には芸能活動45周年を記念し、初の作詞作曲集を発売。
2011年6月22日、芸能活動全般についてエイベックス・マネジメントと業務協力契約を締結する。
2013年2月に杉の個人事務所が所有する東京・西麻布のビル2階に「杉良太郎演劇塾」を設立[11]。同年10月には『よろず占い処 陰陽屋へようこそ』で33年ぶりとなる民放連続ドラマの出演となった。
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