子供の頃に石垣をよじ登り無邪気に遊んだ吉田城址にあった歩兵第十八聯隊の石碑には、ここに集った若者たちが日清戦争に参加し、日露戦争に参加し、満州事変にも参加して60年以上勇名を馳せつつも、戦局が厳しくなった南方へ出征途上の魚雷攻撃で多くが海没し、辿り着いた者もグアム及びサイパンで壮絶な玉砕を遂げ、ついに誰も帰らなかったことが刻まれている。
張本勲氏が広島被爆体験を語る番組を見た。球界の大打者でありご意見番としてテレビで親しまれ、個人的にはやや老害的に疎ましくも感じていた彼が、このような戦争体験を心に秘めていたとは知らず、姉の死について語る場面など心に突き刺さるものがあった。これらを今の今まで公には一切語らずにきたこと。そして戦後80年の今語らなければと思い至り行動した彼の生き様に感動した。
今や戦争を知らない世代が語り部になりつつある。曾祖父から正しく伝え聞いた曾孫の高校生が資料館で語り部を務めてさえもいる。かつては戦争を知らない世代が戦争を語ることは僭越と思われた。知る者達も語らずにきた。学校でも、教師たる自分も正しく深くは教えてはこなかった。そんな今張本氏を悔しくて行けなかったという広島平和記念資料館に行かせ、語らせたのは行動する小学生からの一通の手紙だったという。「秘すれば花」「陰徳を積む」の奥ゆかしい日本の心意気とは別に、知る者からきちんと語られ、知らない者が引き継ぎ勉強を深めてゆくべきであろう。次の戦争が行われることがないように。
豊橋は日清日露戦争から日中戦争、満州事変、大東亜戦争まで戦争と深い関りのある街です。特に1886年(明治17)年に歩兵第十八聯隊が移駐して以来軍都として大きく栄えた歴史があります。日本各所から集まった兵隊さんだけでなく、共に暮らした市井の人々と明治大正昭和を跨ぐ60年余りの生活がここにあった。友達の家に行けば仏壇の上に軍服や飛行帽をかぶった祖父世代の写真が並ぶことが珍しくない、そんな街です。
子どもの頃、石垣を登っては遊んだ吉田城址は歩兵第十八聯隊の駐屯地であり戦争遺跡も様々あるが、すぐ隣にある母校中学校の教師も誰もその意味は正しく伝えてくれず、大人になって調べて知るに至った。ただそうして知ったことの遥か前に、活字や資料に残る戦争とは別に、ここに生きていた祖父母世代の様子が息づく街に生まれ育ったことで,、私の心の深くに先人への畏敬、感謝がすでに備わっていたことを感じている。
2025年、戦後80年の節目に思い新たに献奏します。
ショート版

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