曲集『あおのふるさと』より
「その日―August 6」「百歳になって」「おばあちゃんとひろこ」(編曲初演)
詩:谷川俊太郎、曲:前田智子
歌(箏歌):下野戸亜弓、箏:木田敦子、十七絃:平田紀子、尺八:田辺頌山
日本歌曲協会主催( http://www.nikakyou.org )
<第17回邦楽器とともに・2022年 いま届けたい魂のうた>より(動画③)
2022.10.28(金)東京文化会館・小ホール
映像制作 公益財団法人日本伝統文化振興財団
【解説】
谷川俊太郎氏の詩の中から現代社会において喪失したものを取り戻したいという願いをテーマに『あおのふるさと』というシリーズ(7曲)で曲を創りました。本来人間は何を望んでいるのか、還りたい場所はどこなのかという問いかけが各々の詩から聞こえてきます。
その中から「その日」は、August 6とあるように(1945年8月6日、原子爆弾が投下され、一瞬のうちに街が破壊され約8万名が即死。この歴史的悲劇を繰り返さないように、 8月6日を原爆の日とする)懺悔のしようの無い人間の犯した罪と苦しみを音で表現。現在も続く核の恐怖。私が詩から感じる深い悶々としたものを、この手でむりやりつかんで表出させてみました。
「百歳になって」は、タマシイとカラダの対話。人は自分を自分で何とかできると傲慢にも思っています。私の中の分離は新たな自分を見出し、そこに生かされているいのちを発見できるはずなのですが。そんな身体の対話をコミカルに表現してみました。
「おばあちゃんとひろこ」は 温かい懐かしい音の世界で表現。この詩の世界は、人間がどこかで求めている世界。
空の青、海の青の深さを覗くと私たちの根底に共振するものが有ります。それは青と溶け合い、いのちのパルスのように迫ってはこないでしょうか。
(曲 前田智子)
【詩・谷川俊太郎】
曲集『あおのふるさと』より
(1)その日 ―― August 6
苦しみという名で
呼ぶことすらできぬ苦しみが
あなたの皮膚から内臓へ
内臓からこころへ
こころから私が決して
行きつくことのできぬ深みへと
歴史を貫いていまも疼きつづける
その日私はそこにいなかった
今日 子どもたちの
傷ひとつない皮膚が
その日と同じ太陽に耀き
木々の緑が夏を歌う
記憶は無数の文字の上で
鮮度を失いかけている
その日私はそこにいなかった
私はただ信じるしかない
怒りと痛みと悲しみの土壌にも
喜びは芽生えると
死によってさえ癒されぬ傷も
いのちを滅ぼすことはないと
その日はいつまでも
今日でありつづけると
「シャガールと木の葉」(集英社)
(2)百歳になって
百歳になったカラダに囚われて
タマシイはうずうずしている
そろそろカラダを脱いでしまいたいのだ
古くなった外套みたいに
「おいおい」とカラダは言う
「おれを脱いだらおまえはどうなる?」
「ふわふわどこかへ飛んで行きます」
なんだか嬉しそうなタマシイは答える
カラダはぶるぶるふるえて怒る
「生き残るのはお前だけか?」
不思議そうにタマシイは答える
「そんなに死ぬのが嫌ですか?」
窓の外は今年も桜の花盛り
その上の空はどこまでも青く限りなく
カラダは足腰の痛みも忘れて叫ぶ
「生きたい生きたいいつまでも!」
その生きたい自分は誰なのか
カラダなのかタマシイなのか
生まれる前のことを思い出したい
ヒトの形になる前のこと
生まれる前にも自分がいたら
死んだ後にも自分はいる
「死んだら死んだで生きてゆくさ」
私の好きな草野心平さんの言葉です
タマシイとの対話にくたびれて
カラダは寝酒をすすって布団に横たわる
夢の中でカラダはすっかり軽くなり
赤んぼみたいに笑いながら空を飛んでいる
(3)おばあちゃんとひろこ
しんだらもうどこにもいかない
いつもひろこのそばにいるよ
と おばあちゃんはいいました
しんだらもうこしもいたくないし
めだっていまよりよくみえる
やめてよえんぎでもない
と おかあさんがいいました
こどもがこわがりますよ
と おとうさんがいいました
でもわたしはこわくありません
わたしはおばあちゃんがだいすき
そらやくもやおひさまとおなじくらい
おばあちゃん てんごくにいかないで
しんでもこのうちにいて
ときどきわたしのゆめにでてきて
おっけーとおばあちゃんはいいました
そしてわたしとゆびきりしました
きょうはすごくいいてんき
とおくにうみがきらきらかがやいて
わたしはおばあちゃんがだいすき
「すき 詩の風景」(理論社)

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