1994年、三浦知良選手は1年間のレンタルでイタリア・セリエAのジェノアCFCに期限付移籍し、アジア人初のセリエAプレーヤーとなった。11月20日の対カリアリ戦のハーフタイムインタビュー、12月4日の対サンプドリア戦(初ゴール)後のインタビューなど。
0:02 ハーフタイムのインタビュー(1994/11/20カリアリ戦)
5:25 セリアA初ゴール(1994 /12/04サンプドリア戦)
6:17 試合後インタビュー(1994 /12/04サンプドリア戦)
7:00 クリスマスのインタビュー(1994/12/23)
<三浦知良選手のイタリア移籍>
三浦知良選手はJリーグが開幕した1993年の第1回のMVPを受賞した他、前年に続いて1993年の日本年間最優秀選手賞に輝き、1993年のアジア年間最優秀選手賞をも受賞した。また1993年12月にはACミラン主催のチャリティーマッチに招待され、世界選抜のメンバーとして先発出場(この様なチャリティーマッチへの日本人選手の出場は、これまで釜本邦茂、奥寺康彦のみであった。)50分間プレー、サイドからのクロスでウーゴ・サンチェスの得点をアシストした。前日には世界選抜に選ばれたメンバーの中で唯一、ACミランの練習に参加した。またこの時、セリエA関係者からの興味が伝えられ、イタリアのマスコミから取材を受けるなど注目を集めた。
1994年には移籍を認めたくなかった渡辺恒雄から、1年間のレンタルということでようやく了承を得て、イタリア・セリエAのジェノアCFCに期限付移籍し、アジア人初のセリエAプレーヤーとなった。この移籍にはジェノアの会長アルド・スピネッリがプレーぶりを見て魅力を感じたこと、そして商業的な価値を期待してのもので、ジェノアのユニフォームの広告権をケンウッドが獲得したこともあって、加入会見では「スポンサーを得るために獲得したと言われているが、どう思うか?」などと辛辣な質問も浴びせられた。
プレシーズンマッチの地中海カップでは好プレーを見せ、コパ・イタリア2回戦のチェゼーナ戦で先発出場して公式戦デビュー、サンシーロで行われた、ACミランとのセリエA開幕戦において先発出場し、セリエAデビュー、前半途中にバレージとプレー中に激突し、鼻骨骨折と眼窩系神経を損傷してしまい、一ヶ月の戦線離脱を余儀なくされた。
復帰後、12節UCサンプドリアとのジェノヴァダービーで先発出場、アントニオ・マニコーネの浮き球からスクラビーがヘディングで落としたボールを右足アウトサイドでゴール隅に決め、セリエA4試合目の出場で初ゴールとなる、先制ゴールを奪ったが、これがジェノアでの唯一の得点となった。16節のパドヴァとの対戦では、サイド突破からマニコーネの決勝点のアシストをした。第31節のユベントス戦では65分から途中出場したが、退場者が出て10人での戦いを強いられたこともあり、シュートすら打てずに試合終了、代表戦の為、シーズン終了を待たずに帰国、その他1994年10月にはアジア大会への出場のために帰国(セリエA3試合、コパ・イタリア試合を欠場した。)、また度重なる監督交代も影響して、21試合出場(先発10試合)に留まった。その後、トリノFC、スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルといったチームからオファーが来ていたが、シーズン終了後にはヴェルディ川崎へ復帰することとなった。ジェノア在籍時にはジェノヴァの名前を日本に広めたことで、市から特別表彰を受けた。3度の監督交代など様々な事情もあり、成功は収められなかったが、これまでイタリア人がもっていた日本のサッカーとサッカー選手に対しての概念を変えさせ、その後日本人選手たちのセリエA入りの扉を開いた。シーズン終了後、ジェノアCFCの一員として、横浜スタジアムで行われた、ヴェルディ川崎との親善試合に出場、この試合を最後にジェノアを離れ、ヴェルディへ復帰した。また在籍時の1994年12月にはASローマ対世界選抜の試合に出場した。

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